2008年11月10日

高槻の京町屋 最終回

高槻の京町屋 最終回
高槻の京町屋 最終回


今回で高槻の京町屋の紹介は最終回となります泣き

最後にご紹介しますのが↓この写真。外観の写真です。


左側に縦格子のようなモノがずーとありますよねしょんぼり
これは 『据連子』すえれんじ・・・・と言います。
この写真では、わかりにくいのですが、実は・・・・この『据連子』
ちょど、クーラーの配管をラインにして右側と左側とでは、仕様が違うんです。ちっ、ちっ、ちっ

まず・・・向って左側に写っているのがのが、本来の『据連子』です。
その名前のとおり、はじめから取り付けられていて、
外せないようになっています。実際にアップで見てみますと・・・



↑このように始めから、はめ込んであるんですねしょんぼり
これは、この建物を建てる時(新築)にこの『据連子』を義務ずけられていた証拠になります。

では・・・なぜ・・・義務ずけられていたのか・・・・・
その答えはこの京町屋が建てられた、土地柄にあります。

最初にご紹介いたしましたが、この京町屋は 『西国街道』沿いにあります。

昔は参勤交代など・・・お殿様や大名が通る道だった訳ですキョロキョロ

これまた、余談ですが・・・・高槻の初代藩主は、 『永井 直清』 
時は1649年に初めて高槻城に入った方です。
幼い頃から、徳川秀忠に仕え、幕府からの信頼も厚く、大阪夏の陣でも活躍した人物です。
その後永井家が13代・・・約220年の間高槻藩主として君臨していたのですちっ、ちっ、ちっ

もうおわかりですよね・・・藩主が横行する道沿いだった為、身分の低い者から
藩主が見下されるのを嫌い、幕府が命令して取り付けさせたらしいです!

当時かごの位置は低かったから、『据連子』を取り付けさせて中の様子を遮り、
見ていないような錯覚をもたせる為に義務づけられたんでしょうねしょんぼり

その事を物語るように・・・この京町屋が建てられている街並みには、
今もその名残を残した『据連子』がある民家がいくつか見られます。

ちなみに、この写真は右側部分のアップです。後から取り付けたのがわかりますか?


↑取り外しができるようになっていますよね!

『据連子』は取り外しができないようになっているんですちっ、ちっ、ちっ
この事から、強制的に義務ずけられたという事が理解できます。

そして、この京町屋ですが、オーナー様のお話によると・・・
当時、建物が立派すぎて、建築時に、永井城主からクレームがきたんですってオドロキ

それぐらい、当時としても価値のある建築物だったと言えます。
そんな価値と歴史のある今回、勉強させて頂いた京町屋ですが・・・・・
残念なことに、時代の流れでこの古民家も、解体が決まっているそうです大泣き

こういった歴史や技術、工法など学べることがたくさんあって、
後世に伝えていきたいモノが・・・ドンドン壊されていきます。
これも・・・古民家の悲しい現実です。









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